i hate u all

2018年4月12日 § コメントする

先日まで恋人だった女の子の作品のタイトルを、ふと、びっくりするほど鮮明に思い出した。i hate you all。なるほど。

好きとか嫌いとかもうなんかすこし草臥れたな、と思う。好きになることはとても簡単なのに、簡単に膨らんだ好きは気づけばばらばらになっていて、あるいは随分と矮小なものに変わっていたり、拡散していたりして、だから好きで居続けることはとても、とてもむつかしい。ひとつの物事に興味を持ち続けることがむつかしいように、おなじごはんを毎日食べるのがむつかしいように、誰かを好きでいつづけることは、むつかしい。いつでも一定量の好意を維持できる装置があればわたしは迷いなくそれをあたまの中にでも突っ込んで、安心するんだろうと、そう思う。
(好かれ続けることは、たぶんもっと、むつかしいけれど。それはもうわたしの管轄ではない。管轄外のことに対しては無力だから、せいぜい、怯えたり哀しんだり諦めたりする準備をしておこう、そう思う。思っている。考えている。)

あー。ゆらゆら、ふらふら、揺れるシーソーの上で不安定に膨らんだり、膨らみすぎた好きを削いだり捨てたりすることが誰かを、何かを、好きで居続けること、だと定めている気もする。だとしたら、きっとひとり遊び。

好きと、嫌い。そういえばわたしのこゝろは、わたしの好きと大好きと楽しいと苦しいに使われていて、嫌いの入り込む余地があんまり、ない。ああそうか、嫌うくらい、嫌いなひとの近くに留まったことが、ないのかも知れないなあ。すぐに逃げる。遠くなればどうだってよくなる、関係のないものに割く余地はそれこそ、持ち合わせていないもの。とはいえ、好きな人の側に、居続けたことだって多分あんまりないけれど。

 

もうひとつ。

書こうと思ったけど、上手にまとまらなかったのでまた、いつか。覚えていたら。好意と許可の関係性のようなことを、曖昧に考えていた気がします。permit、その感覚。

あいしているよ、いつだって

2017年8月29日 § コメントする

だからどうだというお話ではない。

真夏日、白昼と呼ばれるようなまっさらな日射に曝されながらアスファルトの上を歩く。てくてくと。ここ最近ハイヒールを履くことが滅多になくなって、ぺたんこのサンダルばかり履いている。足の裏と地面がいつも近しい。それでわたしが傷つくわけではない、ということは既に学習したのだけれど、たまに、あまりにも生々しく伝わる地面の堅牢さに怯む気持ちが湧いたりもする。

日射。陰影。見上げると眩しいばかりの空、およびさまざまなビルディングの上階たち。窓ガラス。そういえば電線をあまり見かけない。雲の切れ端。目が痛くなりそうで、うっかり眉が寄る。
じりじりと焼けるような(実際は日焼け止めを塗っているのでそう大したダメージではない)皮膚の感覚に、嫌だな、と思う。嫌だけどまあ仕方ない、仕方ないなあと思って視線を落として歩く。てくてくと。

たとえば。

たとえば、君が今いなくなったとして。気づくひとはどれくらいいるんだろう。僕は気づかない。少なくともあと数日、あるいは数か月、誰かから「あの子はいなくなったんだよ」と言われるまで気づかない。それが妙に愛おしいなと思う。癒着できない僕らであるということ。こころがどうであろうと、徹頭徹尾、ひとりぼっちで存在するしかないということ。物理のはなし。

そんなことを考えながら歩いていたら白い犬に出会いました。途端思考は霧消して、いぬ、かわいいなあ。犬だなあ。おおきな、白い、犬だ。となる自分のこと、最近、わりと好ましく思っています。

液体と同調しないはなし。

2017年5月22日 § コメントする

液体を扱うのが頗る苦手だ、ということにうすうす気が付いているのだけれど、これはたぶんどうしようもない類のことがらなのだろうとも思っている。

好きなのだけれど。プールも好きだし、海も嫌いじゃないし、コーヒーはまいにち常飲している。お酒は言わずもがな、バーテンダーのまねごとをしていた時期だってあった程度には親しんで、好ましく思っている、のに。だけれど。どうも、わたしは液体を扱うのがへたくそだった。思い返せば。

溢す。零す。ぶちまける。目分量はできる、調味料の加減はそう下手ではない。けれどたとえば「コップに注ぐ」だとか「かき混ぜる」だとか、あるいは単純に「ペットボトルから水を飲む」みたいな行為の際、わたしの予想と現実がずれる。想定より勢いがつく、だとか。想定よりも跳ねる。だとか。

だからどうということもないのだけれど、これはいったい、どういう原理なんだろうなあということを考えていた。現実の認識の仕方なのか、身体の中に本来は存在しているはずの機構が欠落している(あるいはちょっと働きが悪い)のか、どんくさいと呼ばれる性質なだけなのか。

考えたところで別にどうなるというわけではない。でもだいたい、いつも、そんな風なことばかり考えている。

ねえ飽きたって笑って頂戴

2017年5月18日 § コメントする

あ、あ。思い出した。思い出した。思い出した。

飽きたと思ってたんだけど、思っていたけど、だけれど飽きることにすらうんざりする程飽きてしまったのかも知れないし、思い出して時々食べたくなる、そんなものかも知れない。毎日毎日代り映えのない、そんな陳腐な言葉に閉じ込めるとしたら呼吸も拍動も慟哭だってルーチンで、取り溢すものが多すぎるんだいちいち精査なんかしてらんないよ。なんて、なんて。ねえ。

ねえ。

ねえ。

僕のこと思い出さなくていいよ僕のこと忘れちゃっていいよ、口に出せば嘘で願いで半分こ。哀しかったんだけどもう遠い、寂しかったけどもうずっと。寂しいのもさ、飽きられたらよかったのに。

短歌をつくったり、仕事をしたり、お酒を飲んだり、恋はしていないけれど愛はたくさん、きっとたぶん少し平和になりました。たゆんで、撓んで、戯れて。そうしてきっといつか千切れる。おしまいを夢想するのは手癖のようなものだから、まあ、だっていつもそうでしょう?とかね。
大好きも大きらいも大した違いはないのだけれど色鮮やかな世界がすこしやさしくなった。そのことに、ちょっとだけ絶望しているまいにちです。

どうやらおよそ一年振りらしい

2014年11月19日 § コメントする

一年。さんびゃくろくじゅうごにち(あるいはろくにち)。

慣れてしまったな、といろんなことに対しておもう。否応なく慣れてしまった、惰性と慣性で動いてゆくニチジョーとやらはほんとうにひどく、酷く優しくてやさしくて、わたしはそこに恐怖することや倦むこと、厭うことすら奪われて飼い慣らされている。まいにち。毎日。少しずつ死んでゆくことにも頓着せずに。

嫌悪で引き攣れていた表情を能面のような笑顔で覆っていた筈が気付けばほら、ちゃんと笑って愛着している。

べつに、それがかなしいとはおもわないのです。

ただ、慣れてしまったな、とおもう。

どこまで行けば許されるのか、考えることすらなくなった今いったい何を握っていたら良いのかわたしにはもうわからなくなってしまったみたいだ。

適当。

2013年11月12日 § コメントする

狂騒を抜けてほんの抜け殻のように、ただ凪いだ世界をぼうっと眺める。右手にはいつもどおりのガラムさん(さんじゅーさんミリ、極めて自殺的ですてきな煙草)、左手は繋ぐ相手がいないからポケットに突っ込んでみた。

寒いねって呟いたふりをして、
三歩くらい歩いて、飽きる。

飽きてしまうんだよ、なにごとにも。

ええと、うん。何が言いたかったんだけな。なんにも言いたくないからただ、歌をうたっているのかも知れない。嘘だけど。嘘だよ。

空想的な火曜日のお昼をくしゃくしゃにまるめて、蹴り飛ばしてみたいかも知れないとおもってすぐに、飽きた。

おしまい。

ねえ。

2013年9月6日 § コメントする

わたしさあ、あなたのことが本当に好きなんだよ。好きとか、劣情とか、恋愛感情とか、そんな言葉じゃあ正しくないくらい、そんな言葉を幾百幾千並べたところで足りないくらい、あなたのことがほんとうにほんとうに大好きで、仕方がないから愛してるって言うしかないくらいあなたが必要なんだよ。ねえ。

愛してるってさあ、わたしの持つ言葉のなかで一番手放しで一番一方通行で一番閉鎖的で一番完結してて、そりゃあもう不毛で不毛でなにかが生まれることなんてなにひとつ期待してない、あなたが生きて、息をしてその目に何かをうつして、その喉から言葉を発して、その指でなにかに触れてなにかを感じて、それだけでもう充分だって思ってしまう、そんな可哀相な愚かな感情なんだよ。ねえ。

独占欲も所有欲もないよ。そんなくだらないものより、もっと酷いもっと醜いわたしの愛しているであなたが充たされてくれればそれで好いよ。あなたにはなんにも影響ないから、最後の最後、どうにもならなくなった時に笑顔で両腕を広げて待っていてあげるから、それまではずっとさ、今までみたいに、これからもあなたのままでいてよ。それだけで、わたしはあなたを愛し続けていられるから。愛し続けてるわたしでいられるから。

たまに、考える。

わたしが死んだらさあ、あなたはどうするんだろうね。笑ってくれるかなあ。泣いてくれるかなあ。泣かせちゃったら、慰めてあげたいけど、抱き締めて大丈夫だよって言ってあげたいけど、たぶんそれすらできずに、そっかって言って飲もうって誘うことくらいしか、そうしてただひたすら見守ることしかできないだろうけれど、でも死んじゃったらそれすらできないねえ。それは嫌だな。嫌だなあ。死にたくないなあ。でも、あなたと一緒に死んでみたいなあ。あなたの目に映る最後の光景を見て死にたいなあ。あなたが聞く最後の音を一緒に聞きたいなあ。あなたがどうしても死にたくなったらさ、殺してあげることはできないと思うけれど、一緒に死ぬことくらいなら、できるよ。多分、一緒に生きることはできないだろうけれど、同じくらい駄目なふたりだから共倒れになってしまうけれど、でも、だから一緒に倒れたいときはすぐ言ってよね。ねえ。わたしの全部を差し出すから、あなたの最期をわたしに頂戴。

ねえ。

愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。あいしてる。あいしてる。
息をするくらい単純に。心臓が動くくらい不随意に。涙が流れるくらい簡単に。あなたを愛しちゃってます。どうしようもないくらい、どうにもならないくらい。

いつかこの感情だって褪せるかも知れないし、あなた以上の存在に出逢うかも知れないし、でもそんなことは知ったことじゃあなくて今わたしの世界はあなたの破片がきらきらと散らばって、それはおそろしくグロテスクな景色で、その上わたしはその破片に頬ずりするような醜悪な愛を繰り返すばかりで、額ずいてキスをしてつま先を押し戴いて口に含んで陶酔するようなそんな愛しているでそこらじゅうがいっぱいです。ねえ。

酔ってるなあ。
こんなこと、言えないよ。たぶん了解してるでしょう。だから口になんて出せないよ。出さないよ。流儀は、崩さないよ。わたしはひたすら、わたしの愛に水をあげて肥料を撒いて丹精込めて創り出す奇形の花を後生大事に抱えているよ。
どこまでわかってるのかな。
どこまで了解してくれてるのかな。
 
なんで、涙が流れるのかな。
いつかあなたの幸福な顔が見たいな。幸福に酔った見知らぬ顔を見て、この感情が醒めてしまえばいいのにって思うよ。うそだ。

こうして言葉を重ねるたびに、あなたがあなたじゃなくなって、幻想の萌芽が生命力を得てゆくね。それで、好いんだ。それを、望むんだ。最後に、あなたもぜんぶ嘘になってしまえば、そしたらわたしは心置きなく狂えるよ。そんな気がする。ねえ。

(2009.09.25)

アローウィンター

2013年9月6日 § コメントする

12月になったので、わたしは君に言葉を贈ろうと思います。うそです。
12月になったので、わたしは君を忘れようと思います。これも、うそ。

今日の空は雲がなくてどこまでも続く夜ばかりが見えていて、そこにぽかりと浮かんだ白くて黄色いお月様と吐き出した息の白さがなんだかとても寂しく思えます。ぷかり、ぽかり、重ねた煙草の煙は青白くて、冷えてゆく身体とかじかむ指先と、真っ黒なコートにつつまれたわたしは夜に同化していて、なぜか有害物質ばかり含む煙は、清い、たとえば降りしきる雪のような清潔さ、たとえば粉砂糖の白さを思わせました。
また一年が過ぎてゆきます。
愛している愛している愛している、わたしは今年、この言葉を何度呟き何度書き殴っただろう。繰り返された愛してるからは最早意味が消えうせ、ただの呪文になってしまったような気も、しないわけではないのですがわたしにはあなたの、彼女の姿を引き止めておく術がこれしかないので、きっと来年も再来年も、この意味の消失した、ただの音の連なりとなった愛しているを繰り返すのでしょう。

「ねえ、君。雪が降っていますよ」
そうやって始められた小説が嘗て存在しました。
「雨ときどき雪、愛ときどき嘘」
そう歌う唄歌いの彼も存在しています。

でも、でもね。わたしには降りしきる雪のさびしさを君に告げることもできなければ、愛が時々嘘だなんて言うこともできずに、ただひたすら一日一日、本のページを繰り続けて終わりになったら次の本を手に取るように、火をつけた煙草を銜えて息を吸って吐いて、一本を灰にするまでの時間を最小単位にしてとりとめのない時間を区切りながらひたすら消費し続けるように、彼女とか君とかあなたとか、あるいは僕とかわたしとか俺だとか、そんなチープな誤魔化しで複製した記憶と時間をもてあそんで、右手から左手に、左手から右手に移し変えては眺めているような、そんな無為なことばかりしている気がする。
それがガラス玉なら、おはじきなら、問題ないのだろうけれど。
多分おそらく、それはちいさな粒の集まりで、だから移し変えれば移し変えるほど、繰り返せば繰り返すほど、手のひらから指の隙間からこぼれていつか、なくなってしまう。そんな予感が、今はしています。

でも。
ああもう、もどかしい。くるしい。かなしい。さびしい。

愛してるんだよ、病的なまでに愛しちゃって愛しくってしょうがないんだよ。病気なんです。気の狂いなんです。だってだってだって!叫びたい、叩き付けたい、悲鳴をあげたい。一瞬だけどそんな衝動に駆られるくらいには、あなたを、君を、彼女らを、愛して愛して愛してるんだよ。ねえ、信じられないだろうなあ。信じたくないだろうなあ。わたしも信じてないから安心してよ。全部嘘だよ。ぜんぶ本当だよ。なんだっていいんだよ、だってここには全部あるんだ。

もう随分昔、送り先も知らないメール。

必要、不必要などではない。存在の有無など関係ないのだ。私は、今、この瞬間にいる彼女だけで充足、完結してしまっている。描く必要などないのだ。続いてゆくのだとしても、それは繋った未来などではなく、完結の連続、只管繰り返すそれにすぎない。
そういう意味では既に彼女は永遠となっている。結晶。終わりない終焉。私はただ、その結晶した彼女を蒐集し、部屋の隅に重ねる。冷たい床の上に雑然とばらまく。それらは崩壊はすれども破壊はしない。そして私はそれらを愛でたり、磨いたりなどしない。手を触れさえしない。それはそこにある。ただ純粋に存在として存在している。だから永遠なのだ。存在として。彼女として。

何年経とうと未だここにいるわたしの今年も、あとひと月でおしまいです。

(2009.12.01)

白雪姫と眠り姫

2013年9月6日 § コメントする

ふとしたはずみで指が滑って、朝から切り傷をつくってしまった。幽霊だのお化けだの吸血鬼だの言われる、無駄に色だけは白い腕に赤い色がぽつりと浮かんで、成程、これはうつくしいのやも知れない、と、ただ眺めるようにぼんやり思って、ためしに舐めてみたらまるで美味しくなかった。血が甘いなんて嘘つきだ。別に誰が言ったわけでもないそんな言葉を詰りながら、滲んでくる血液をまたぼんやり眺めていた。一度壊れた美しさは、二度と戻らない。
ここのところ、毎日毎日、怠い眠気がまとわりついて、気付けば一日数時間しか起きていられなくなっている。皮膚にまとわりつく眠気に、精気を吸い取られているような、あるいは湿気が眠気に変わって脳内に染み込んでいるような、重たい、鬱陶しい眠気。嘗て、授業中眠ってばかりのわたしを揶揄して体育教師が眠り姫、と言っていたけれど、彼女であれば王子様が起こしにきてくれるから、いい。わたしには、当然だけれど、そんな当てもなく目処もなく、ただ、茨のかわりに倦怠と眠気に絡みつかれて瞬間と永遠ばかり追いかけるしかないのだ。
ウロボロスの蛇のことを考える。
蛇の、底なしの喉の奥にある昏い闇と、循環する時間を。
眠ってばかりいるから、夢をたくさんみる。目覚めた瞬間消えてしまう数々の夢。それを集めて、固めたらきっとドロップができるだろう。夢、売ります。黒衣の青年が或る日貴方の前に現れて、そのひとつをそっと差し出すのだ。

ああまた、眠たくなってきた。
夜が深くなる前に、黒猫が真夜中に溶ける前に、わたしは眠る。おやすみななさい。貴方の夢と眠りが、佳きものでありますよう。

(2010.06.28)

眠くて怠い。

2013年9月6日 § コメントする

あたまの中で小人が騒ぐから今日も眠たいままに過ごすよ。

うんざりした顔をしてみせる。誰にではなく、多分、そう云うポーズをとってみたくなったから気紛れのようなもので。

君のことを考える。
去年の夏はきみのことを考えていた、と思い出す。
今年の夏は、君にあげる。とても勝手に。

眼の奥が怠いような気がして、きっと液晶の見過ぎなんでしょうと適当に結論付けて、それでも眺める空も山もないのでひたすらに液晶を眺め続ける。iPhoneと、ガラケーと、それからパソコン。電子機器たち。

どこかで毎日日記を書こう、と思った。
たぶんそれも、すぐに厭きる。

(だけれどこの場所には未だ、厭きてないみたいだ。)
(それでも、放置はする。)